荻外荘(近衛文麿旧宅)

「荻外荘(てきがいそう)」へ行ってきました。

昭和35年に豊島区に移築された建物の東側半分を、荻窪へ再移築し創建当時の姿に復原する、という杉並区の壮大なプロジェクト。
約10年にわたる復原整備により区立公園「荻外荘公園」として、先日2024年12月9日に一般公開されました。

私事ですが、この近くの善福寺川沿いをよく散歩をしております。
工事中は仮囲いベールで覆われ、ずっーと気になっており、、、なのでこの一般公開はとても楽しみにしておりました。

「荻外荘」は内閣総理大臣を3度務めた近衛文麿が、昭和12年から昭和20年12月の自決に至るまでを過ごした邸宅です。
日米開戦前から終戦までの間「荻窪会談」や「荻外荘会談」が行われるなど、昭和期の政治の転換点となる
重要な会議を数多く行った場所として、平成28年に国の史跡に指定されました。
また建物としても建築家、伊東忠太の建築思想の反映された現存する貴重な歴史的建築物となっています。

西園寺公望の書による扁額

荻外荘とは、読んで字のごとく荻窪の外という意味で
近衛文麿の後見人、西園寺公望(さいおんじきんもち)により名付けられました。

南側の芝生に創建当時はに池があったが
昭和35年頃の地下鉄丸の内線に伴う工事残土で埋められた。

かつては東京近郊の別荘地として栄え、文化人が多く住んでいた荻窪。
(今ではラーメン激戦区として栄えております、、、)
当時は屋敷林のある邸宅が数多くあり、そのうちの1つがこの近衛文麿の私邸「荻外荘」です。
敷地面積は6,071㎡。なかなかわからない広さですがとにかく広いです。

当初は入澤達吉(東京帝国大学教授・宮内庁省侍医)の邸宅として、昭和2年に義弟の伊東忠太の設計により建てられました。
内閣総理大臣就任に伴う来客の多さから逃れるため、東京郊外に邸宅を求めていた近衛文麿がこの邸宅に惚れ込み
昭和12年に入澤から譲り受けます。その際に蔵と別棟が増築されています。

建物北側。蔵のみが2階建てになっている。

伊東忠太は明治から昭和初期にかけて活躍した建築家、建築史家で代表作に築地本願寺、平安神宮、湯島聖堂などがあります。
「Architecture」の和訳としてそれまで技術的な意味合いの強い「造家」から
芸術的な意味を含む「建築」へと改めるべきだと提唱した、建築界においては歴史的重要人物です。
そのため作品はどれも芸術性のあるモダンな建物が多いです。

応接間

玄関奥にある応接間。
凝った中国趣味の意匠になっていますが、これは最初の居住者である入澤達吉の意向だったようです。
床の敷瓦には龍の文様が施されており、伊東忠太のデザインと言われています。
創建当時のオリジナル敷瓦が一部しか残っていなかった為
レプリカと状態の良いオリジナルの数枚が混在しているそうです。
しゃがんでじっくり観察するとオリジナルを発見できます。

伊東忠太は、東京駅の設計者で有名な辰野金吾の愛弟子になります。
中国、インド、トルコへの留学経験があり
その影響からモダン建築の中にアジアンテイストが入り混じる作風の建築家です。
そして何より妖怪好き。風刺漫画、妖怪画家としても活動されていました。
築地本願寺に行ったことがある方は、ピンとくるかもしれませんが摩訶不思議な動物や妖怪だらけです。
荻外荘にも、妖怪1匹くらいはいるのだろうかと探してみましたが、、、
さすがに個人邸宅だけにご配慮されたのでしょうか。

和洋中の異なる要素が違和感なく絶妙に調和し、今暮らしてみても心地が良さそうです。
建築家、伊東忠太の住宅に対する新しい概念と、それを受け入れる入澤達吉の寛容さもこの邸宅から感じとることができます。

廊下

続いては廊下です。
建具は幅の広い開き戸になっていて、欄間の装飾を含めた建具のデザインはさすがです。
天井もかなり高く、伝統的な日本家屋とは異なり開放的なお宅であることが伺えます。
近衛文麿自身の身長も185cm程であったようなので、、、さぞ居心地が良かったのでしょう。
この邸宅に惚れ込んだのも納得です。

客間

こちらはかの有名な「荻窪会談」「荻外荘会談」を行った客間です。

Wikipediaより引用。1940年7月19日、荻外荘で行われた荻窪会談。
左から近衛文麿、松岡洋右、吉田善吾、東条英機

白黒の写真からデジタルAi技術により色彩を分析し、
テーブルの上のものや背後に写る調度品も、限りなく当時のままを復原しているのだそうです。
棚の中の日本人形の着物の色に至るまで、、、脱帽です。

続いては、書斎です。
当初は天井の高い洋室だったそうですが、近衛が和室に改修し寝室としていたそうです。
GHQより戦犯容疑で出頭命令を受けた近衛は、出頭期限日の昭和20年12月16日に、この部屋で自決をします。
劣化した様子もなく綺麗に復原されているのかと思っていたら、、、
案内係の方に、この部屋はほとんど手を加えておらず畳も裏返しただけで新調もしていない、と聞き驚きました。
近衛家の人々はこの部屋を「とのさまのへや」と呼んで大切にしていたのだそうです。愛を感じますね。

書斎

ところで、こちら「和室」の書斎です。と案内されましたが、、、なんか違和感、、
っていうかもう「茶室」に見えます。
天井をが茶室によく見られる造りになっています。
伊東忠太のモダン建築に惚れ込み、また背丈の大きな方が
何故わざわざ洋室の高天井から低い和室天井に改修したんだろうか、、、疑問です。

これはかなり私的な持論になりますが、、、
「茶道」においては、身分や立場は関係のない世界です。
公爵でもない、貴族院議長、内閣総理大臣でもない人間としての近衛文麿でいられる
唯一の空間をこの邸宅に作りたかったのかもしれません。
今は近衛家の菩提寺、大徳寺に眠っておられるそうです。
そういえばこの書斎の天井、大徳寺にある茶室(真珠庵)の天井に似ている気がしてきました、、、。

続いては、客間の隣の部屋の扉に施された装飾です。

近衛家の家紋(近衛牡丹)

近衛家は藤原北原嫡流であり、公家の五摂家筆頭、華族の公爵家のひとつだそうです。
早い話、とにかく庶民派ではないお家柄。この装飾は近衛牡丹という近衛家の家紋です。
非公開になっている部屋ですが、もとは亡き文麿の祭壇があったようです。

続いては、西側増築棟の和室で近衛の長男・文隆の書斎や妻・千代子の部屋です。

現在こちらの和室では「とらやあんスタンド」の虎玄が運営するカフェ・ショップが入っており
小庭を眺めながらお菓子とお茶を頂くことが出来ます。またショップには荻外荘グッズの販売もあります。

ただしそれは、今だけの限定です。。。

というのも2025年夏には、建築家の隈研吾氏が設計するカフェ(休憩スペース・展示スペース)が
東側の道の反対側に荻外荘公園施設としてオープンします。次回はこちらのご紹介をします。
カフェスペースは隈研吾氏の新しい施設にて本格的始動です。
こちらもとても楽しみにしていますが、、、なんと言っても荻外荘の中で頂くお茶は今しか体験できません。

近衛文麿、伊東忠太、そして隈研吾、、、頭の中が大混雑しますが、、、必見です!
ぜひ一度訪れてみてください。