ドイツ・ポーランド旅行記2

前回のブランデンブルグ門周辺から引き続き散策をします。
DZ銀行のすぐ裏手にあるホロコースト慰霊碑(通称)のご紹介です。

「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」

ホロコーストで殺されたユダヤ人犠牲者のための記念碑で、設計は建築家ピーター・アイゼンマンです。
2,711基のコンクリート製の石碑が約20,000㎡の敷地にグリッド状に整然と並ぶ広大な記念碑。

一つの石碑のサイズは2.38m×0.95mに統一されているのに対して
高さは0.3~4.7mほどの間でまちまちになっています。

石碑の隙間は自由に往来可能なのでぐるぐると歩いてみます。

高さのある石碑のところでは影になり、薄暗く出口のない迷路のようです。
歩いていても見通しが悪くヒヤっとする感覚がありました。
設計者アイゼンマンによれば
この場所は、人々を不安にし、困惑させ、林立する彫刻群は
秩序あったシステムが人の手によって変形させられてしまったことを意図している。

奥に見えるのはDZ銀行の複合建物

石碑群の地下には情報センターがあり、ユダヤ人迫害に関する歴史が展示されています。

石碑に腰掛けランチを楽しむ若者達、登って楽しそうに遊んでいる子供達。
暗い歴史が想像もつかない程、平和で穏やかな広場でした。
墓石や棺を思わせる石碑群。
平和と戦争のコントラストに悲しい美しさを感じました。

続いては、石碑の奥に見えるガラスドームのある国会議事堂へ向かいます。

「ドイツ連邦議会議事堂」
ブランデンブルク門の傍にありながら
冷戦時代、門は東ドイツ、国会議事堂は西ドイツに属していました。
こんなにご近所さんにも関わらず、全く違う世界だったことでしょう。

Wikipediaより引用。国会議事堂1900年頃。
Wikipediaより引用。英米軍の空襲とベルリン攻防戦で破壊された国会議事堂(1945年6月3日撮影)

第二次世界大戦の被害を受けそのまま廃墟化していた国会議事堂。
ベルリンの壁の崩壊後に、国会としての本格機能させる目的で1999年建築家ノーマン・フォスターの設計により改修され
元々のネオ・ルネサンス様式の建物の屋根にガラスドームが載せられました。

ドーム内部には螺旋状のスロープがあり、人々がぐるぐると上に向かう過程で
街の風景を楽しめるようになっています。

ドーム真下の議事堂内部を上から覗くことができるようになっています。
(議場の照明が付いている時はよく見えます)

ドーム内部中心には逆円錐形の360枚の鏡でできた構造物(ミラーコーン)があります。
上部から吊り下げられているこの部分の重さは何と300t!
下の議場に効率良く光を届けており、鏡は太陽の動きに合わせて角度が変わるようプログラム制御
されています。さらには雨水の集積、自然換気の役割も。
大きな舌のように見えるものは日除けで、太陽の軌道を捉え直射日光を遮るようこちらも制御されているそうです。
ドイツらしい環境に配慮した建物です。

ガラスドームの最上部

来場者は、ベルリンの街並みを楽しめるだけではなく、ガラスを通して議会の様子を覗くことができ
開かれた政治の印象を受けました。
重く閉ざされた暗い歴史を払拭し、今では明るい人気観光スポットです。
本当に人気ですのでオンラインでの予約をお勧めします。
セキュリティチェックは要パスポート提示でしたが、あっという間にサクッと終わりました。

今回はここまでです。
次回も引き続きベルリン観光の記録を綴ります。